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2009年9月17日 (木)

キセキノモノ

木曜日のモセキモノ・日本もせきばなし#03

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

世界が彼に近づくのか、
彼に世界が見えているのかは定かではない。



★1948


醤油問屋の軒先に元気な赤ん坊の泣き声が響き渡っていた。
空は抜けるような蒼さで、辺りの空気は澄んでいた。
ツクツクボウシの鳴き声が夏の終わりを知らせている。
9月9日。待望の跡取り誕生に歓喜の声が上がった。

老舗の醤油問屋の3代目は齢53歳。
長女はもうすぐ二十歳を迎える。
跡取り息子の事は既に諦めていた。
婿養子を求めて何度も見合いを試みたが
10回目に断られた時点でそれも諦めた。
ひいき目にも長女は器量が良いとは言えない。
欧陽菲菲にそっくりだった。
ラヴ・イズ・オーヴァー。

それだけに喜びも大きい。
50歳を迎えた頃、既に彼の頭は禿げ上がっていた。
初代も、2代目も40歳を迎えるころにはその兆候が現れ、
50歳を迎える頃には顔の3分の2が額になっている。
ブルースウィリスやニコラスケイジの様に正面からそれは進行して行く。
3代目も既にワラジのような頭、いや、顔になっていた。
「ワラジの醤油屋」と近所では揶揄されていた。

後妻の八重は35歳。
産後は体調を崩し寝たきりの生活が続いている。

待望の跡取り息子は立派な商売人になるようにと
「商一郎」と名付けられた。



★1974


「もう大手の時代だよ。わしらみたいな弱小は生き残るに精一杯さ。」

戦後の急速な復興から30年。
日本は見事に近代国家の仲間入りを果たした。
国連にも加盟し、日本製品は海外でも飛ぶように売れた。
海外から儲けを求めて外資系企業も続々と日本に進出している。
アメリカナイズされた若者が街には溢れ、
マクドナルドのハンバーガーショップが大流行していた。

真っ赤な目をした若者が夜な夜なディスコで踊りまくり、
ポニーテールの彼女達は貞操観念など古いわよと腰を振りまくり、
弱小企業の社長達は今日の資金繰りに腕まくり、
醤油屋の3代目は禿げまくり。


1億総中流時代の幕開けだ。


そんな、明るいのか、
能天気なのか、
アメリカに飼い馴らされているのか
よくわからない混沌の時代に
潰れかけた個人病院のきしむベッドの上で
優しさを持ちよって、彼は産まれた。


江の浦の6畳一間のアパートが彼の住処。
父親の商一郎は26歳になっていた。
クリーニング屋の配達員をしている。
慎ましい生活だったが、そこには幸せが溢れていた。


商一郎は親に反対される結婚を選んだ。
駆け落ち同然で家を出た。
大阪にいる腹違いの姉を便りに。
姉は年を追う毎に欧陽菲菲に似ていき
今ではもう欧陽菲菲になっていた。
世界は広い。
そんな姉に一目惚れした男と一緒に大阪で建築会社を営んでいた。
ラヴ・イズ・ノット・オーヴァー。


数ヶ月そこで暮らしたが、嫁がそれに馴染めず
生まれ故郷の下関に戻りクリーニング屋に腰を落ち着けた。


親に背いた自分達を恥じてはいたが、
この慎ましい生活自体は誇らしかった。
そんな幸せに新たな光をもたらせてくれた息子に
「光一郎」と名付けた。


光一郎の1歳の誕生日に豆腐を買い、
それにロウソクを1本立ててお祝いをした。
3人で肩を寄せ合って寝る生活は
光一郎にお金で買えない全てを与えてくれた。

光一郎はそこで2歳半まで育った。
3つ子の魂100までという説が正しければ
彼の一生の80パーセントは江の浦の6畳一間のアパートで形作られたと言える。



★1986


光一郎は醤油問屋の実家に馴染めずにいた。
家族と共に引っ越してきてから7年半が過ぎていたが
旧家の習わしや、駆け落ち同然で家を出たことから
母親と光一郎はその家で肩身が狭い立場にあった。

1976年に醤油問屋の3代目が
くも膜下出血で倒れ商一郎は急遽呼び戻された。
運良く一命を取り留め、何の障害も起こらなかった。
明治生まれの人は生命力が強い。


もともとそれを求めていたのだろうか、
商一郎は醤油問屋の商売においてメキメキと頭角を現し
今では下関市全体の醤油問屋を束ねる立場にあった。
立派な4代目になっていた。
名は体を表すのだろうか。商売人の血なのだろうか。


仕事に没頭し、会社を大きくする事に全てを捧げていた。


光一郎には3歳年下の弟がいた。
実家に帰って間もなく産まれた子供は
3代目からの溺愛を受けて育っていた。


光一郎も弟を心から可愛がった。


そこにはお金で買えるモノが全部あった。
おもちゃも、ご飯も、広くて大きい家も、自分達の部屋も。


商売熱心な商一郎は40歳を目前に控え、
既にあの兆候が出始めていた。


遺伝とは時に残酷なものなのかもしれない。
額はどんどん広がっている。
彼の商売上の可能性もどんどん広がってはいたが、
スピード的には禿げ上がるスピードの方が勝っている。
まるでゴーカートが彼の頭の上を通り過ぎたような、
いや、そこで急ブレーキを踏んだような頭に、いや顔になっていた。


光一郎はその家での自分の立場をどうにかしなければならなかった。


「きな粉餅」


弟にはあって、自分にはもらえないもの。


きな粉餅が欲しかった。
だから振り向いて欲しかった。


革命の理由はいつも些細なことなのかもしれない。
いつの時代もほんの小さな理由なのだ。
虐げられた人達がその立場を良くしようと立ち上がる。
光一郎の革命の始まりはきな粉餅だった。



★1987


光一郎が口に出す事はことごとく現実になっていった。


「算数のテストで一番になったよ。」


彼は言った。
算数のテストは明日だ。
まだ受けていないテストで一番になったと言う。


何も知らない3代目はそれを大いに喜んで
彼にきな粉餅を与えた。


実際、そのテストでは一番になった。


「今度の学芸会で司会者に選ばれたよ」
「演劇会の主役になったよ」
「ソフトボールのキャプテンになったよ」


その都度、彼はきな粉餅と少しの賞賛を手に入れて行った。
そうやって彼は実家での居場所を造り出していったのだ。

光一郎にはもうそれが過去なのか今なのか未来なのかの
正確な区別がつかなくなっていた。

もちろん全てが未来の話ではなかったハズだ。
実際に司会者に選ばれてからそう言ったのかもしれない。

実際彼にはいわゆる特殊な能力は、例えば
未来が見えたり
あるいは幽霊が見えたりした事は無い。
念力があるわけでも無さそうだ。

ただ、彼の大風呂敷が正確にそのようになって行く以外は。


世界が彼に近づくのか、
彼に世界が見えているのかは定かではない。



★1989


その日光一郎は幼なじみ2人と家で遊んでいた。
いま流行のファミコンに興じていた。


「マントヒヒ見た事ある?」


唐突に幼なじみの1人が言った。
光一郎は


「もちろん、見た事あるよ」


と答えた。


恐らく彼はマントヒヒなど見た事が無い。
欧陽菲菲なら見た事がある。
と言うより、毎年正月に会っている。
正確に言えば欧陽菲菲に似ている伯母さんに。



「見に行く?連れてってあげるよ。」



そう言って2人を連れて探検に出かけた。
光一郎はあても無く歩く。
学校に通うコースとは違う道を。
彼にすら今どこに向かっているのかは分かっていない。
随分奇妙な話だが、そんなことがたまにあった。

1時間ばかり歩いたところに家があった。
家と家の間に子供が一人やっと歩けるような路地がある。


「ここにマントヒヒがいるよ。」


そう言って2人を手招きして路地を歩く。
初めて歩く路地だが、彼には確信があった。
角まできて、3人は息をひそめる。


光一郎が先頭でそこを曲がろうとした瞬間


「ヒッヒッーーーーン!!」


突然、大きな人間のような、
猿のような、
マントヒヒのような生き物が叫んだ。


3人は叫びながら走って路地を抜け出した。
幼なじみ2人はびっくりして


「すごいね、光ちゃん。本当にマントヒヒいたね!!」


そこに住んでる人だろうか。
路地裏で植物に水をやってる最中、
いたずらっ子達が歩いて来てるのを感じて
彼らを驚かせようとしたに違いない。


あるいは、本当にマントヒヒだったのだろうか。



★2011


「さぁ始まりました、キセキノモノ、日曜日は私、ケイがお送り致します」


37歳になった光一郎は
醤油問屋の仕事の傍らインターネットラジオをやっていた。
番組タイトルは「キセキノモノ」。3年目に突入していた。
彼の住む下関と言う街を若者は「モセキ」と呼んだ。
それを文字って「キセキ」と名付けた。



曜日毎に色んなパーソナリティが勝手にしゃべる番組。
地方から発信することで、
何かしらの「キセキ」を目指していた。



時代は混迷を極めていた。



素人でも何か時代に向けて発信出来ることはと探して、
ネットラジオに辿り着いた。



何人かの仲間と編集などを共有しながらやっている。
お金が発生する訳でもないので気楽にやれると思っていたけど
やり始めてみると、それなりに苦しかった。



何かを発信するということは
別の何かを受信する事だ。
何かを得る事は何かを失う事と同じように。



発信することはさらけ出すことに似ている。
さらけ出せば剥き出しの感情が帰ってくる。



この世は偏見と欺瞞と差別と嫉妬に満ちている。



醤油問屋の5代目だという偏見はいつも彼につきまとっていた。



彼が造り出す大風呂敷はいつもそのようになっていった。
もちろんそれに追いつこうと努力は怠らなかったわけだが。
それが彼を苦しめ続けている。
自分が自分で造り出した世界だとは知らずに。



★2022


50歳を目前にした光一郎。
「キセキノモノ」はまだ続いていた。

時代は相変わらず混迷を抜けきれず、
目に見えるキセキは起きていないが
そこには続けて来た軌跡の分だけの仲間がいた。

随分メンツは変わったが
いまだにモセキに住むキセキノモノ達が発信し続けている。

始めた当初にいた仲間の多くは家庭を持ち
それぞれ幸せに今を生きている。

光一郎の頭はフサフサしていた。
そう考えればこれこそキセキなのかもしれない。
遺伝子を超えた。

キセキノモノのお陰なのかどうかは定かではない。


「さぁ、始まりましたキセキノモノ。
日曜日は私、ケイがお送りします。
みなさん、マントヒヒって見た事あります?」



★2009


世界は心象風景を映し出す鏡に過ぎない。


大まかにはそう考えられている。


だが、時に世界はあなたを試す。
前向きな時には後ろ向きな事象を、
後ろ向きな時には逃げ道を差し出してくる。


あなたが望めば、そのような道が用意されることもある。
用意されない時は試されていると思えばいい。


続けていれば必ず道は出来るものだ。


世界はいつもあなたのそばにある。
あなたがそれに近づくのか
そこから遠ざかるのかの選択をしているに過ぎない。


「ねぇ、何か俺ら素人でも出来る方法で世界に発信しようぜ。
このまま年とって行くより、何か刺激のあることしてぇんだ。
そしたら俺の頭だって親父達みたいに禿げないかもしれないし。」


飲み会の席で光一郎は熱っぽく語っていた。


世界が彼に近づくのか、
彼に世界が見えているのかは定かではない。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
この物語はフィクションです。
2009/9/17 Satorism

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コメント

巡り合ったそれってキセキ^o^)/▼☆▼\(^o^)

投稿: なりえ | 2009年9月17日 (木) 19時42分

>なりえ

モセキ→キセキ

こりゃなかなかええかもしれん。

投稿: Satorism | 2009年9月18日 (金) 11時06分

間違いないっすよd(^O^)b

投稿: なりえ | 2009年9月18日 (金) 13時51分

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